藤ノ川関の「京都から1828年以来」|新関脇の知らせが江戸へ飛んだ

最終確認:2026年9月1日九月場所番付トピックス・藤ノ川関プロフィール
青いまわしの藤ノ川関が土俵で構える創作ミニチュア

1828年。藤ノ川関の新関脇を調べていたはずなのに、急に文政という元号が出てきました。2026年から引くと198年前です。京都出身の力士が、それほどいなかったのでしょうか。

198年ぶりなのは、「新関脇・新三役」

協会の九月場所番付トピックスが挙げているのは、京都府からの新関脇・新三役。前例は1828年十月場所の緋縅関です。京都の力士そのものが198年間いなかった、という意味ではありません。

名前の後ろに置いた「以来」を読んだだけでは、どの記録が止まっていたかを取り違えます。出身地を入口にしたら、初めて三役へ上がるという、もう一つの条件が出てきました。

藤ノ川関の七月には、二人の横綱がいる

歴史の数字を閉じて、いまの星取表へ戻ります。七月は東前頭筆頭で8勝7敗。二日目に大の里関、三日目に豊昇龍関を破り、殊勲賞を受賞しました。九月は西関脇として、初めて三役の名に加わります。

198年前という遠さと、つい前の場所で二日続けて横綱を破ったという近さ。同じ力士の紹介に、その両方が入りました。まずは藤ノ川関の相撲と素顔を覚えて、緋縅関という名前は、次に開く資料の手掛かりにしておきます。

資料確認:2026年9月11日(日本時間)。日本相撲協会・公式プロフィール、星取表、本人アンケート / 日本相撲協会・令和8年九月場所番付トピックス